TOMOYA KATO

Diary

2020-11-26

仕事と日常が くるくると周り 出会った景色に 暗いから みえる光色。

2020-11-24

「強いモノに支配されたく、弱いモノは支配したい。」
人が 何処か気持ち的に追い詰められたりすると こういったリズムに 流されてしまったりする。 
その追い詰められた状態は 周囲の目が気にもなるのだろう。
対話と支配の違いの味噌。

2020-11-23

『噴水と机』

文句とは 文と句なのか。
m o n k。

2020-11-21

昨日は 写真家の藤安 淳さんと 久しぶりに会って ご飯を食べた。
僕と藤安さんの出会いは お互いが ドイツ ミュンヘンの lothringer 13という場所で 展示をした事が きっかけである。僕がやって その一年後に 藤安さん。ギャラリーの事を聞きに 僕のところに 話に来たわけだ。
そこから 会っては 色々な事を話す事になり、昨日は 共通の友人の話から 最近の自分の製作の事、そして 今度は一緒に ドイツやデンマークに行こう とか 話をした。
そんな未来は 森の中を 歩いている様だ。

2020-11-20

今日は 朝から 光が明るくなったり 暗くなったりして 楽しい。
曇り時々雨の恩恵。

いつもと違う紙は いつもと違う土地にきた感じがある。
自分に合う感触や 合わない感触を通りぬけて 
 ぶつかってみたりする。
慣れてしまい ぶつかって 崩してもらって 気付かされ また内に向かうのです。

2020-11-17

『種子をうえる者』
意味づけは 旅の意味を締め付けたり 広げたりする。
時に烏賊として 時に種として 植物のモサモサや 溜池の培養具合に アクセスして 日常を省みるのも 午前中の風物詩でもある。

2020-11-16

会話の流れや言葉の受け入れが 早すぎる人にみえる、不安。理解や対話はそこにみえない。
最近 理不尽な言葉とよく出会う。
自分をみつめれるような 絵と向き合いたいな。

2020-11-14

諦めるとみえたり、落書きが先端なその可能性。思考ばかりじゃ 屁も出ない。

2020-11-13


実家に帰ってよくみる構図。
両親とつけっぱなしのTV。
TVと両親の3人の会話。
外出中によくみる構図。
携帯と携帯をみている人。
友達と携帯と自分。
自分達の聖書、情報(信仰)が 自然から本、本から
TV、TVから携帯。
に 割と 無意識、うつり変わっていって、生活の流れにくみこまれていってる。
そこに 自己表現、自分の意識(選択)の認識をしてみると ちょいとこの無意識のループを 客観視できたりして、見直す事ができたりする。
その情報の客観視に対し 自分自身(我)の選択を どの様に向けていくのか。
みえないリズムは変化していく。

2020-11-10

秋は やたら机ついてを 考える事が多い。そして机があって 噴水がある。
噴水の風景。向き合う風景。

2020-11-07

ふとした 思いから 対話がはじまる。
リアリティーのリズムが 生死も超えて むすんで ひらく メッセージ。
ろうそくの火が 消えるまで。

久しぶりに
ハマノテ・ラボ。
日記帳展の打ち合わせ。
さぁ 冬を越えていこうかよ。

2020-11-05

【お知らせ】
ジャケットを担当させて頂いた
Hochzeitskapelle × Kama Aina(Takuji Aoyagi)
「Way faring Suite」
をホホホ座浄土寺店さんに 納品させて頂きました。
このくらいの季節に聴くと 気持ちよく。
粘土作業も気持ちよく。
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朝からの模写。
喫茶に「モーニング」があるように、
日記帳にも「模ーニング」がある。
画面のうまみ。

2020-11-04

「サポートと犠牲心」
こうしてあげたら良い→喜ばれる快感→こうしてみたい→してあげる→してあげたのに→あれだけしてあげたのに→ゆるせない→憎い→憎い→体調が悪くなる
こうした流れは 他者と関わる上で 人間関係の中で 発生する。経験する。
だって人間だもの?
こういったループがある事は 流れの一部なんだし そうなっていたとしても、自分や他人を責めて 罪悪感に身を置くこともないし、選択の自由は 気が付けばある。

つくった空間に自分の居場所がなかったから 自分の場所をつくった。
来られた方の居場所と自分の居場所。

2020-11-03

朝光 ワカコさんとの実験空間。

色々 跡がのこる 影のひかる空間になりました。

この三日間は 時間が短く。

2020-11-01

午前中から 慌ただしい。だってば 11月なんだな。
午前中から 慌ただしい。

だってば 11月なんだな。

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