TOMOYA KATO

Diary

2021-09-15

時間を置いた紙は 何処馴染みがある。

2021-09-14

ラピュタの名シーン。
ドーラが ちゃんとパズーとシータが落ちない様に操縦しながらズボンを持って支えている。
キャラクターの内面性がみえる そういった描写が やっぱりすごい。
いつか映画館で またやってほしい。

2021-09-12

夕方の感触と朝の記憶。

『cow cat & tree tree』
決めすぎると 面白くなくなるのは 世の常ですかね。

2021-09-11

地面があって 家がある。
空気があって 家がある。
ボールペンがあって 絵が描ける。

小田原さんのPARCOの鉢に水やり。
昨日の雲。空と雲の容量からの細部は圧倒的。
昨日夜に描いたパレット跡に水をかけると細胞みたいね。

2021-09-09

『雷雲と石』
弱さからの強さ、強さの弱さ。
そして直ぐにはわからないこと。
わかる前のこと。

2021-09-07

『繊細な庭の観察』
繊細な意識のバランスは 不安に怯えて 救いの情報へ 。情報を消化せずに 情報の快楽。
そして次の新しい情報へ。情報ループ。情報中毒。
繊細な感覚の才能と落とし穴。

2021-09-06

小田原さんの鉢と植物達への水やり。
慣れない仕事となかなかな重さのモノを 二階のベランダへ運ぶから 緊張がはしります。

日差しは少しキツいけど夏の終わりを感じた日。

今日はここまで。

2021-09-05

アトリエみゃーこ

2021-09-04

親から1つ桃を頂いた。
他人のことに 苛立つ自分がいたら それは 苛立つ事を選んでしていること。
苛立つ事は 決して悪いとか良いとかでもない ごく自然な感情なのだけど、ずっと続けると 他人に依存していくパターンになる。
「ああしてくれない、こんな事言われたされた」などなど。
自然派性に対しては、自分の表現に集中することで 自然も我も グルグルと循環させていき 選ぶ自己の膨大な可能性を再認識して ワクワクしてみるんだな。
美味しい桃を食べると ワクワクする様に。
ご馳走が ご馳走である素晴らしさ。

2021-09-03

昨日は 青木さんと打ち合わせ。
「草むら殿下」をみてもらう。
夕飯前に ひとりゴロンとしていたら、
「あ、絵をみてもらってたトキ、僕は緊張していたな」と気付く。
自分で気が付いていない緊張が知れた事を 少しうれしくおもう。

2021-09-02

『paradise horse & cow cat』
展覧会をすることで 精算された感触と「今」感じとる枝葉みたいな感触を 日記帳に描きとめたりしながらか つくりあげてく心境。
昨日 やっとこさ 冷麺を食べれたのだけど 麺の色も食感もがハーフトーンで
タレに深みがあった様な気がするけど、かなりジャンク。
噛み合う9月の個性。
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2021-09-01

サンシャインへのドローイング

久しぶりに ゆーげ。
相変わらず 音がよいよい。
おいしい

ワールドな珈琲屋さんの植物。

2021-08-30

霊園の中で 褐色ランニングの縄跳びするおじさんをみた。
あれは 幻しなのか。
その先にあるアクセサリーのお店で 「インテリア」について 
思いメグラスのマグノリア。

2021-08-27

自分のつくった言葉で話すことで 対話の基礎がなりたつような。

『白い馬』
絵をみるうまみ。
うまみを味わう目。
ビジョン。

2021-08-26

なんでもかんでも ヅカヅカきいてくる人は 苦手。
自分のストレスを他人でなんとかしようとしてる様だ。
猫のキモチも わからんでしょ。
そんな事は さておき、みゃーこの毛がふわふわだ。
京都はまだまだ蒸し暑いけど少しずつ 秋の気配を感じる。
打ち合わせの多い時期。
挑戦という種蒔きの年かしら。

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