TOMOYA KATO

Diary

2020-12-03

昨日は シーモアモアモアモアグラース家でした。
ゲーセンテーブルに カルピス オレンジ いちごミルク。儀式。
まるで 荒野の一角で 焚火をしている様だ。今日は 肩のマッサージしよう。

思考は 頭だけの表現力ではなく 内臓にもある表現力なんだね。
ワタワタして 目が泳ぐのね。

2020-12-01

伊豆。

伊豆のギャラリーnoktaさんに 打ち合わせ。
yaichiくん3世を デモで置いてみました。

2020-11-28

『猫化&犬化』
色々と消費社会が 変化していくね。
消費と消化のバランス。
量産と育成のバランス。
犬化と猫化のバランス。

念がこもりすぎたら アクセサリーくらいに 軽くして 身にツケテみるのよ。
重さのナルシズムに軽さのスパイシー。

2020-11-26

オートマチックに思ってしまっていた事、
意識してみて 気付くこと。
気付いたからといって 否定までは しなくてよいこと。そこからまた 自分に集中していくコト。
リアリティー ≠ 正解
現代アート ≠ 最先端
クラフト ≠ 癒し
光 ≠ 潔白
闇 ≠ 病
ヒーラー ≠ 特別
救い ≠ 無欲

気になる事を 言葉にする為に 身体や思考をつかって 行ったり来たりする。
ある程度 言葉にしても 対話ができたり できなかったり。
エゴみたいなのを ブツケ ブツケラレタら 「半落ち」みたいな感触になる。
そんな事も含めて 自分と他者の理解があるのかな。
光に惑わされて エゴが見えなくなってしまわない様に。

仕事と日常が くるくると周り 出会った景色に 暗いから みえる光色。

2020-11-24

「強いモノに支配されたく、弱いモノは支配したい。」
人が 何処か気持ち的に追い詰められたりすると こういったリズムに 流されてしまったりする。 
その追い詰められた状態は 周囲の目が気にもなるのだろう。
対話と支配の違いの味噌。

2020-11-23

『噴水と机』

文句とは 文と句なのか。
m o n k。

2020-11-21

昨日は 写真家の藤安 淳さんと 久しぶりに会って ご飯を食べた。
僕と藤安さんの出会いは お互いが ドイツ ミュンヘンの lothringer 13という場所で 展示をした事が きっかけである。僕がやって その一年後に 藤安さん。ギャラリーの事を聞きに 僕のところに 話に来たわけだ。
そこから 会っては 色々な事を話す事になり、昨日は 共通の友人の話から 最近の自分の製作の事、そして 今度は一緒に ドイツやデンマークに行こう とか 話をした。
そんな未来は 森の中を 歩いている様だ。

2020-11-20

今日は 朝から 光が明るくなったり 暗くなったりして 楽しい。
曇り時々雨の恩恵。

いつもと違う紙は いつもと違う土地にきた感じがある。
自分に合う感触や 合わない感触を通りぬけて 
 ぶつかってみたりする。
慣れてしまい ぶつかって 崩してもらって 気付かされ また内に向かうのです。

2020-11-17

『種子をうえる者』
意味づけは 旅の意味を締め付けたり 広げたりする。
時に烏賊として 時に種として 植物のモサモサや 溜池の培養具合に アクセスして 日常を省みるのも 午前中の風物詩でもある。

2020-11-16

会話の流れや言葉の受け入れが 早すぎる人にみえる、不安。理解や対話はそこにみえない。
最近 理不尽な言葉とよく出会う。
自分をみつめれるような 絵と向き合いたいな。

2020-11-14

諦めるとみえたり、落書きが先端なその可能性。思考ばかりじゃ 屁も出ない。

2020-11-13


実家に帰ってよくみる構図。
両親とつけっぱなしのTV。
TVと両親の3人の会話。
外出中によくみる構図。
携帯と携帯をみている人。
友達と携帯と自分。
自分達の聖書、情報(信仰)が 自然から本、本から
TV、TVから携帯。
に 割と 無意識、うつり変わっていって、生活の流れにくみこまれていってる。
そこに 自己表現、自分の意識(選択)の認識をしてみると ちょいとこの無意識のループを 客観視できたりして、見直す事ができたりする。
その情報の客観視に対し 自分自身(我)の選択を どの様に向けていくのか。
みえないリズムは変化していく。

2020-11-10

秋は やたら机ついてを 考える事が多い。そして机があって 噴水がある。
噴水の風景。向き合う風景。

Copyright © 2020 Tomoya Kato.