2020-11-26 オートマチックに思ってしまっていた事、意識してみて 気付くこと。気付いたからといって 否定までは しなくてよいこと。そこからまた 自分に集中していくコト。リアリティー ≠ 正解現代アート ≠ 最先端クラフト ≠ 癒し光 ≠ 潔白闇 ≠ 病ヒーラー ≠ 特別救い ≠ 無欲
気になる事を 言葉にする為に 身体や思考をつかって 行ったり来たりする。ある程度 言葉にしても 対話ができたり できなかったり。エゴみたいなのを ブツケ ブツケラレタら 「半落ち」みたいな感触になる。そんな事も含めて 自分と他者の理解があるのかな。光に惑わされて エゴが見えなくなってしまわない様に。
2020-11-24 「強いモノに支配されたく、弱いモノは支配したい。」人が 何処か気持ち的に追い詰められたりすると こういったリズムに 流されてしまったりする。 その追い詰められた状態は 周囲の目が気にもなるのだろう。対話と支配の違いの味噌。
2020-11-21 昨日は 写真家の藤安 淳さんと 久しぶりに会って ご飯を食べた。僕と藤安さんの出会いは お互いが ドイツ ミュンヘンの lothringer 13という場所で 展示をした事が きっかけである。僕がやって その一年後に 藤安さん。ギャラリーの事を聞きに 僕のところに 話に来たわけだ。そこから 会っては 色々な事を話す事になり、昨日は 共通の友人の話から 最近の自分の製作の事、そして 今度は一緒に ドイツやデンマークに行こう とか 話をした。そんな未来は 森の中を 歩いている様だ。
2020-11-17 『種子をうえる者』意味づけは 旅の意味を締め付けたり 広げたりする。時に烏賊として 時に種として 植物のモサモサや 溜池の培養具合に アクセスして 日常を省みるのも 午前中の風物詩でもある。
2020-11-13 実家に帰ってよくみる構図。両親とつけっぱなしのTV。TVと両親の3人の会話。外出中によくみる構図。携帯と携帯をみている人。友達と携帯と自分。自分達の聖書、情報(信仰)が 自然から本、本からTV、TVから携帯。に 割と 無意識、うつり変わっていって、生活の流れにくみこまれていってる。そこに 自己表現、自分の意識(選択)の認識をしてみると ちょいとこの無意識のループを 客観視できたりして、見直す事ができたりする。その情報の客観視に対し 自分自身(我)の選択を どの様に向けていくのか。みえないリズムは変化していく。