TOMOYA KATO

Diary

2022-02-11

アーティストと作品とお客さんの間に立つ。
どんなエネルギーをどんな姿勢でとらえるか、食べるか、食べないか。
ビジョン&リアリティー。
内と外の関係性。
美味しいモノもまずいモノも、よくわからないモノも 色んな「外」のモノから 
自分は刺激やエネルギーを受けて できあがっている。
制作と作業は そういったエネルギーを仕分け循環する腎臓みたいな役割な部分がある。
光とか闇とかこだわっている「我」は どうしても 奴隷や信者が必要になるのかな。

『月の風景』
青葉 市子さんの歌う 「タキシードミラージュ」や「風の通り道」「ひまわりの家の輪舞曲」、新鮮でした。
最近 お月が騒がしいな。

2022-02-10

昨日 ミスターホリィが言っていた
「祭りの後の コンビニ感」
という言葉が 見事だった。

2022-02-08

『生命の木の発進』
だいぶ日差しが春めいてきている。
たくさんの発進が 気持ちを動かす。

2022-02-06

『ピアノのある部屋へ』
ピアノがくる日を 手を成る方へ。

2022-02-05

『波の居場所』
大きめの絵に慣れていたせいか、小さな絵に波を描いて 今日の居場所をつくる。

2022-02-03

絵は虚。
立体には自然に陰ができるから具実。
陰と虚はなんだか近い感じで この陰の色幅が
『場所』をもつ自分にとってはとても大切な空地みたいな存在だ。
「草むら殿下」は この空き地の主みたいな感じで、
いつもクールに冷たい目で見守ってくれている。
展覧会は無事終了致しました。
お越し下さった皆様、誠にありがとうございました!
3月の紙片へ。
(3月19日~4月19日)

2022-02-02

刺激ある色んな情報が飛び交い
 「知る」と「自我を忘れる」がループしてしまう一方で 「体感する」「自分で選択する」の展開が 気薄くなる感じ。

2022-01-30

展示のこの期間、気持ちは 色々あるけど 言葉にするのは 難しい。

2022-01-28

昨日言葉。
横とモノ。
存在と気配。
頭痛と葛根湯。

2022-01-27

展覧会を観て下さる方で、
自分の鍛え上げた思考(剣)を 自慢したり振り回したりするのが基準の人がいる。
その一方で 作品からの作者のビジョンや技術、集中力等を感じとり
伝え様としてくれる人などもいる。
それは どちらも感想であって 貴重でもあり 
あまり重点を置いてもしょうがないモノかもしれない。
でもそこから生じる 自身の感情や思考を基に 
絵を描いて、いつの間にか 基から切り離されて絵の世界に没入していた様な感覚は 
なんとも次元が歪んでいて 
肉体を持つが故のパワフルな感触なのかな思う。

2022-01-24

ムツゴロウさんの
「今飼っているペットに 前に飼っていたペットが宿る」という お話が好き。
「消えた」と感じるか 「消えても尚存在している」と認識しているか 矢印が変化する。
絵でも 同じ感触がある。
うまく描けた絵、なんとか繋いだ絵、魅力を感じない絵、色んな絵がつながって 今の絵がある。もちろん 「つながり」を目的化して 
「つながり正義」となってしまうと 元も子もない感じもある。

2022-01-23

自分に水をあげないと 造花もみえんだろう。

2022-01-22

人の渦に巻かれたら 何か手作業等に 集中すると 渦から距離おける。
手作業の奥に 何か無限のリズムが 存在している感触が ウキウキ。

サンシャイン益子のお神。

2022-01-21

『虹のおはなし』
かけだしたら 虹色だけ。
ふりむいたら銀色だけ。

光兎舎でも 犬舟を展示ができて よかった。

2022-01-19

『狩人と部屋』
久しぶりに 特に何もない日。
制作と家。アラジンのストーブは 色んな人が使っている。

2022-01-17

焚火と椅子。

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