2022-03-01 みゃーこが旅立った瞬間から みゃーこを頭にのっけている。もし このホームページ をみて みゃーこへの愛寂しい想いにひっぱられ過ぎてしまっている方がいたら ぜひ 自身の頭にのせてみて下さいね。日常が広がります。ラーメン屋の天下一品みたいに 僕が本店となります◎アーメン。
2022-02-27 昨日みゃーこが 旅立った。さいごは 僕の腕の中で眠っていった。たくさん泣いて たくさん感謝した。綺麗に拭いてあげて 用意したダンボールに みゃーこをいれてあげた。寝顔は笑っていて とても幸せそうなみゃーこの顔だった。あはは、幸せそうだ。僕もみゃーこも幸せなのだな。ここ2ヶ月のみゃーこの病と自分の感情の渦は それはなかなかギリギリな部分もあったけど、今まで制作をして 描いてきた視点からの意識とそこを共有できる周囲の環境、サポートにかこまれ なんとか見送ってあげる事ができた。今日は お通夜をして、見送りに来て下さった友人達に たくさんのお花を添えてもらったみゃーこをみていたら、益子の楽園に居た時を思い出した。そしてあの時と同じ様に「楽園に居続けるより、この感触に感謝をして 、また自分の日常を 描いていこう。そしてまた 遊びに来よう。」と思えた。みゃーこよ、ありがとう。みゃーみゃーみゃーこ。ありがとう。遠くなったけど より近くなったみゃーこを僕は深く愛している。
2022-02-17 『波が運ぶモノ』病を循環する朝。冷えと暗闇がと布団の暖かみ。肉体が知覚する感触に 色んなシーンが見えるけど、その全てを受け入れて 感謝である。制作するアンテナと 知覚した意識への解釈に 日夜 「全体神の容量」とが繋がっていく。
2022-02-11 アーティストと作品とお客さんの間に立つ。どんなエネルギーをどんな姿勢でとらえるか、食べるか、食べないか。ビジョン&リアリティー。内と外の関係性。美味しいモノもまずいモノも、よくわからないモノも 色んな「外」のモノから 自分は刺激やエネルギーを受けて できあがっている。制作と作業は そういったエネルギーを仕分け循環する腎臓みたいな役割な部分がある。光とか闇とかこだわっている「我」は どうしても 奴隷や信者が必要になるのかな。
2022-02-03 絵は虚。立体には自然に陰ができるから具実。陰と虚はなんだか近い感じで この陰の色幅が『場所』をもつ自分にとってはとても大切な空地みたいな存在だ。「草むら殿下」は この空き地の主みたいな感じで、いつもクールに冷たい目で見守ってくれている。展覧会は無事終了致しました。お越し下さった皆様、誠にありがとうございました!3月の紙片へ。(3月19日~4月19日)
2022-01-27 展覧会を観て下さる方で、自分の鍛え上げた思考(剣)を 自慢したり振り回したりするのが基準の人がいる。その一方で 作品からの作者のビジョンや技術、集中力等を感じとり伝え様としてくれる人などもいる。それは どちらも感想であって 貴重でもあり あまり重点を置いてもしょうがないモノかもしれない。でもそこから生じる 自身の感情や思考を基に 絵を描いて、いつの間にか 基から切り離されて絵の世界に没入していた様な感覚は なんとも次元が歪んでいて 肉体を持つが故のパワフルな感触なのかな思う。