TOMOYA KATO

べにさんのポストカードの絵の模写した絵から また模写をした。(作家さんに承諾済)他人の絵の模写をすると なんだか 自己が たくさんみえる。今日は 「教える、教わる」について 考えた。絵(創造)には 正解は なくて 実感が ある。正解は 基本、同じ場所にあるが 実感は ほとんど 同じ場所にいない。先生は 教えるのが 仕事で 生徒は 教わる事が 固定概念みたいな 教育の流れがみえる。なんにせよ、教える方も 教えられる方も 「自身の器」が 存在していることに 気付かないと 対話は 難しいような。「描く」も「食べる」も似ているし、脳より胃袋で 考えた方が 器は わかりやすいかもね。

2020-07-30

べにさんのポストカードの絵の模写した絵から また模写をした。(作家さんに承諾済)他人の絵の模写をすると なんだか 自己が たくさんみえる。今日は 「教える、教わる」について 考えた。絵(創造)には 正解は なくて 実感が ある。正解は 基本、同じ場所にあるが 実感は ほとんど 同じ場所にいない。先生は 教えるのが 仕事で 生徒は 教わる事が 固定概念みたいな 教育の流れがみえる。なんにせよ、教える方も 教えられる方も 「自身の器」が 存在していることに 気付かないと 対話は 難しいような。「描く」も「食べる」も似ているし、脳より胃袋で 考えた方が 器は わかりやすいかもね。
べにさんのポストカードの絵の模写した絵から また模写をした。(作家さんに承諾済)他人の絵の模写をすると なんだか 自己が たくさんみえる。

今日は 「教える、教わる」について 考えた。

絵(創造)には 正解は なくて 実感が ある。

正解は 基本、同じ場所にあるが 実感は ほとんど 同じ場所にいない。

先生は 教えるのが 仕事で 生徒は 教わる事が学びであるという固定概念が教育の流れにみえる。

なんにせよ、教える方も 教えられる方も 「自身の器」が 存在していることに 気付かないと 対話は 難しいような。

「描く」も「食べる」も似ているし、脳より胃袋で 考えた方が 器は わかりやすいかもね。