2022-03-03 3月3日は みゃーみゃーみゃーこの日。昨日 SNSのみゃーこの投稿をみて下さった方が、「なんだか私も飼いたくなりました」と言って下さった。なんだか嬉しく良かった。ここ数日、周りから祝福の言葉と 心配の言葉をいただく。「死」というのモノを 「悲しみ」「喪失感」だけに 注目してしまう偏った言葉は、正直 僕は身体に違和感が出てしまい 受け取れない。ましてや、「喜び」だけも なんだか変だ。その言葉は 僕のモノではないから。でも それぞれの「死」への体験や向き合い方があるから そういった感触にも「ありがとう」と思う。まずは自身と向き合う時間。そこからの対話。可能性。僕は 生も死も 祝福も喪失感も 全身で味わい そして日常に費やして 表現していたい。この世には 自分のフィールドから 「生」と「死」は 在る。